LOGIN王宮の地下、詮議の間。
石造りの部屋には窓がなく、燭台の炎だけが揺れていた。私は椅子に座らされ、向かい側には、冷たい表情を貼り付けた文官たちが並んでいる。その最奥に、殿下──ルシアン様が立っていた。 「ヴィオラ・フォン・ローゼン。これより、王太子暗殺未遂の件について問う」 文官の一人が、書類を机に広げる。 「まず、これを」 差し出されたのは、小さな硝子瓶だった。中には見覚えのある、赤みがかった粉末が入っている。 「これは、貴女の私室の棚から発見されたものです。成分を調べたところ、殿下のワインから検出された毒と一致しました」 私は、それをじっと見つめた。 「……その瓶に、見覚えはございます。ですが、それを殿下に渡したことは一度もございません」 「では、なぜ貴女の部屋にあったのですか」 答えられなかった。正直に言えば、私自身にもわからない。 「次に、これを」 差し出されたのは一枚の便箋だった。目を通した瞬間、背筋が冷えた。 『今夜、あなたを殺します』 文字は、確かに私の筆跡によく似ていた。けれど── 「これは、私の書いた文章ではございません」 「筆跡鑑定の結果、貴女の字と酷似しているとの報告を受けています」 「似ているだけです。私はこのような文章を書きません」 文官は、私の言葉に耳を貸すつもりがないようだった。淡々と、次の証言を読み上げる。 「さらに、殿下付きの侍女より証言があります。事件当夜、殿下の私室へ向かうヴィオラ様の姿を見た、と」 「その時間、私は自室におりました。誰かと一緒だったわけではありませんが……」 「証明する術はございますか」 「……ございません」 沈黙が落ちる。私は膝の上で、拳を握りしめた。 一つ一つの証拠は、確かに私を指している。けれど、それぞれに小さな違和感がある。この毒を、私は渡していない。この文章を、私は書いていない。この時間、私は部屋にいた。 なぜ、こんなにも都合よく、私に不利な証拠ばかりが揃っているのだろう。 そのとき、それまで黙っていたルシアン様が、静かに口を開いた。 「ヴィオラ」 「……殿下」 「残念だ」 その一言に、これまで抑えてきた何かが、静かに崩れていくのを感じた。 「殿下」 私は顔を上げ、まっすぐに彼を見た。 「本当に、私が犯人だとお思いなのですか」 ルシアン様は、一瞬だけ言葉を詰まらせた。けれどすぐに、感情を押し殺したような声で答える。 「証拠が、そう言っている」 「証拠は、人が作ることもできます」 「では、誰が君を陥れると言うのだ。誰が、君の部屋に毒を置き、君の筆跡を真似た手紙を書き、君に変装して私の部屋へ向かったと言うのだ」 私には、答えられなかった。 わからない。けれど、これだけは確かだ。 「殿下は」 私は、一つだけ確かめたいことを口にした。 「毒が置かれていた場所を、なぜご存知だったのですか」 ルシアン様の眉が、わずかに動いた。 「私の部屋のワイン棚に毒があった、と、先ほどおっしゃいました。ですが、そのことはまだ誰も公にしていないはずです。私自身、今日この場で初めて聞きました」 「……それは」 「なぜ、殿下がご存知だったのですか」 彼は答えなかった。ただ、視線を逸らしただけだった。 その沈黙こそが、私にとって最初の──本当に小さな──手がかりだった。 「これ以上の問答は無用です」 文官の一人が、書類を閉じながら告げる。 「ヴィオラ・フォン・ローゼンは、王太子暗殺未遂の罪により、七日後の処刑を宣告する」 七日。 その言葉が、地下室の冷たい空気の中に、重く沈んでいった。 騎士に両脇を抱えられ、私は詮議の間を後にする。石段を降りるたび、光が遠ざかっていった。 牢の鉄格子が、背後で音を立てて閉じる。 湿った石の床に座り込み、私は膝を抱えた。 このまま、黙って処刑されるわけにはいかない。 涙は、なぜか出なかった。代わりに、頭の中には冷静な問いだけが渦巻いていた。 ──毒は、誰が買ったのか。 ──手紙は、誰が書いたのか。 ──あの夜、私の姿をした女は、誰だったのか。 ──そして、殿下はなぜ、知るはずのない情報を知っていたのか。 七日間。 それだけの時間で、すべての真実を暴かなければならない。 暗闇の中、私は静かに、けれど確かに、決意を固めた。石の壁を伝う水滴の音だけが、時間の経過を教えてくれた。 窓のない牢の中で、私はどれくらいの時間が過ぎたのかもわからなくなっていた。ただ、頭の中だけは、驚くほど冷静に働き続けている。 毒。手紙。目撃証言。 どれも、私を犯人だと示している。けれど、どれも決定的に「おかしい」。 そのとき、鉄格子の向こうに足音が近づいてきた。規則正しい、迷いのない歩き方。騎士のものだ。「ヴィオラ嬢」 低い声に顔を上げると、そこに立っていたのは、王国騎士団副団長──カイル・ヴァレンだった。 殿下の護衛の任に就く彼とは、これまで儀礼的な挨拶を交わす程度の関係でしかなかった。婚約者だった私と、必要以上に距離を置いているようにも見えた。「……カイル様。このような場所まで、何用でしょうか」「見張りの交代で、たまたまここを通りかかっただけです」 彼はそう言いながらも、その場を立ち去る様子はなかった。鉄格子越しに、私をじっと観察するような目で見ている。「一つだけ、伺いたいことがあります」「何でしょう」「貴女は、本当に殿下を手にかけようとしたのですか」 まっすぐな問いだった。同情も、決めつけも感じられない、ただ事実を知りたいという響き。 私は、少し考えてから答えた。「いいえ。誓って、私はそのようなことをしておりません」「証拠は、貴女を示していますが」「証拠は、私にも不利に働いています。ですが──一つ一つを見ていくと、辻褄が合わない箇所がございます」 カイル様の眉が、わずかに動いた。「たとえば?」 私は、詮議の間で感じた違和感を、順に語った。「毒の瓶には見覚えがありますが、殿下に渡したことは一度もありません。手紙の文字は私に似ていますが、私はあのような文章の書き方をしません。目撃証言についても、その時間、私は自室におりました」「証明する手立ては?」「……ございません。ですが、殿下が発した一言に、明確な矛盾がございます」「矛盾?」「殿下は、毒が置かれていた場所をご存知でした。ですが、その場所は事件発覚時に初めて確認されたはずのもの。まだ誰にも公表されていない情報です。……なぜ、殿下はそれをご存知だったのでしょうか」 沈黙が落ちた。 カイル様は、しばらく腕を組んだまま何かを考えていた。やがて、静かに口を開く。「実を言うと、私も気になっていたことがあり
王宮の地下、詮議の間。 石造りの部屋には窓がなく、燭台の炎だけが揺れていた。私は椅子に座らされ、向かい側には、冷たい表情を貼り付けた文官たちが並んでいる。その最奥に、殿下──ルシアン様が立っていた。 「ヴィオラ・フォン・ローゼン。これより、王太子暗殺未遂の件について問う」 文官の一人が、書類を机に広げる。 「まず、これを」 差し出されたのは、小さな硝子瓶だった。中には見覚えのある、赤みがかった粉末が入っている。 「これは、貴女の私室の棚から発見されたものです。成分を調べたところ、殿下のワインから検出された毒と一致しました」 私は、それをじっと見つめた。 「……その瓶に、見覚えはございます。ですが、それを殿下に渡したことは一度もございません」 「では、なぜ貴女の部屋にあったのですか」 答えられなかった。正直に言えば、私自身にもわからない。 「次に、これを」 差し出されたのは一枚の便箋だった。目を通した瞬間、背筋が冷えた。 『今夜、あなたを殺します』 文字は、確かに私の筆跡によく似ていた。けれど── 「これは、私の書いた文章ではございません」 「筆跡鑑定の結果、貴女の字と酷似しているとの報告を受けています」 「似ているだけです。私はこのような文章を書きません」 文官は、私の言葉に耳を貸すつもりがないようだった。淡々と、次の証言を読み上げる。 「さらに、殿下付きの侍女より証言があります。事件当夜、殿下の私室へ向かうヴィオラ様の姿を見た、と」 「その時間、私は自室におりました。誰かと一緒だったわけではありませんが……」 「証明する術はございますか」 「……ございません」 沈黙が落ちる。私は膝の上で、拳を握りしめた。 一つ一つの証拠は、確かに私を指している。けれど、それぞれに小さな違和感がある。この毒を、私は渡していない。この文章を、私は書いていない。この時間、私は部屋にいた。 なぜ、こんなにも都合よく、私に不利な証拠ばかりが揃っているのだろう。 そのとき、それまで黙っていたルシアン様が、静かに口を開いた。 「ヴィオラ」 「……殿下」 「残念だ」 その一言に、これまで抑えてきた何かが、静かに崩れていくのを感じた。 「殿下」 私は顔を上げ、まっすぐに彼を見た。 「本当に、私が犯人だ
シャンデリアの光が、大理石の床に幾重にも反射していた。 王宮の大広間には、国中の貴族が集められている。今宵は、王太子ルシアン・アルヴェイン殿下の生誕を祝う舞踏会。私、ヴィオラ・フォン・ローゼンは、婚約者としてその隣に立っていた。 ──いつものように。「ヴィオラ様、今夜も凛としていらっしゃいますね」「相変わらず、殿下の隣がよくお似合いだこと」 すれ違う貴族たちの声には、賞賛の皮を被った棘がある。私はそれに気づかないふりをして、小さく会釈を返した。 冷たい令嬢。高慢な公爵家の娘。婚約者という立場を笠に着ている女。 そう噂されていることは知っている。けれど、いちいち弁明したところで、何が変わるわけでもない。私は昔からそうやって、感情を表に出さずにやり過ごすことを覚えてきた。「ヴィオラ」 低い声に呼ばれ、顔を上げる。ルシアン殿下が、こちらをまっすぐに見ていた。その瞳には、これまで見たことのない硬さがある。「殿下、いかがなさいましたか」「皆の前で、話しておきたいことがある」 その言葉に、周囲のざわめきがすっと静まった。楽団の演奏が止まる。何百という視線が、私たちに集まっていくのがわかった。 殿下は一歩前に出ると、広間全体に届くほどの声で告げた。「ヴィオラ・フォン・ローゼンとの婚約を、本日をもって解消する」 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。いや──理解したくなかったのかもしれない。「……理由をお伺いしても?」 私の声は、自分でも驚くほど平静だった。「君は、王妃にふさわしくない。感情を見せず、常に人を値踏みするような目で見る。そんな女性に、この国の未来を任せられない」 会場のあちこちから、小さなどよめきが上がる。同情の視線、好奇の視線、そして──嘲笑を隠しきれない視線。 殿下は続けて、扉のほうへと手を差し伸べた。「代わりに、私の婚約者として紹介したい女性がいる。セシリア・ベルナール男爵令嬢だ」 淡い水色のドレスを纏った女性が、しずしずと歩み出てくる。柔らかく微笑む顔。誰もが好感を抱くだろう、あたたかな空気を纏った人だった。「はじめまして、ヴィオラ様……その、このような形になってしまい、申し訳ございません」 セシリア嬢は、私に向かって深く頭を下げた。悪意は感じられない。むしろ戸惑っているようにさえ見える。 ああ、この人は